いまさら担降りの話

 

(*これは5/8辺りに書いた記事に少し加筆修正したものです)

 

今まで1度も書いた事のないはhatenaをこんな内容のために立ち上げるなんて思いもしてませんでした。
でも今の気持ちを整理したかったので徒然と書こうかと…。
 
 
2012年2月17日、嵐の二宮くんから担降りしまして菊池風磨くんを約2年と3ヶ月ほど担当しておりました。短いようで濃かったこの年月はいろんな「初めて」を経験しました。初めてのサマリー、初めての握手会、初めての同世代アイドルという近すぎる怖さ…いっぱいありました。熱に浮かされたようにふわふわとのめり込んだこの期間とっても楽しかったです。昔話(でもない)をするつもりもないのでここはさらっと…。
 
 
菊池風磨くんは、担当していても一言ではあらわせないほどの多くの顔もっていて、それと共に表面だけみると誤解されやすい子です。特に2012年終わりから2013年トニワ前あたりまでの約一年、その状況に菊池くんを担当する人よりもSexyzoneの他のメンバーを担当している方のほうが敏感になっていたように感じました。それと同時に今までこの熱量を保っていてくれたtwitterで「なにをつぶやけば良いんだろう…」と考えることも多くなりました。日常生活が忙しくなったことも重なり2012年10月の一か月間に764ツイートしていたのが2013年10月には127ツイートまで減り、TLを追っていてもそのまま閉じることが増えたのです。
 
 
わたしはもともと盲目的なところがあります。コンサート中も歌ってる風磨くんはもちろんライトの当たってない背中しか見えない姿であっても常に双眼鏡を構え彼の一挙一動も見逃すまいとしていました。そのためサマリーのrougeにバックがあんなにたくさんのJrがついていたことはDVDが発売されてから知りましたし、ジャニワトニワは一回では内容が完璧には把握出来ませんでした。
そんな私がSexyzoneのバックについてくれているJrのことを一人一人認識できることなく、覚える気もありませんでした。
 
その中でも彼を認識したのは、フォローしていたセクゾン担の方の多くがトラジャに精通していてなんとなく名前を目にし、こんなキラキラネームの子がいるなんて!?なんて読むんだ!読めん!といったありきたりな思いを抱き、その名前のおかげかはわかりませんがそれから目にとまるようになっていました。*1
そのやりとりの何か月もたった後、その当時旋風を巻き起こしていた「Come On A My House」目当てで録画したスクール革命(2013/3/31)でバックで踊る顕嵐くんに目を奪われましたのです。このスク革は一年以上たった今でも消せずにレコーダーに残っています。それからネットやら持っているDVDを彼目当てでそれまでと違う視点で漁るようになりました。
 

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そしてその後の顕嵐くんが出演するplayzoneやえび座はジャニヲタとして見ておくべきと思ってチケットをとったにもかかわらず、公演日間近になると、これ以上自担*2がいない時にみたら危ないと感じ、チケットはと他の方に譲るということが度々ありました。
そのようなずるずると49とかのJr.のお仕事の見るたびに「推しが増えて困るわ~(^▽^)」と軽い気持ちで、全く降りるとはこの時考えていませんでした。風磨くんのお仕事もありましたし。
 
そしてSexyzoneSpringコンサート名古屋公演(2014/3/26)で幸運なことに双眼鏡のいらない席に着くことができ、そこで阿部顕嵐くんに本格的に心を奪われてしまいました。逃げれませんでした。気が付いたら菊池くんがステージで歌っているにも関わらずライトの当たってない少し離れた顕嵐くんを双眼鏡で追っていたのです。その公演中、持ってきていた風磨くんのうちわを持つことができなく…それだけでなく目の前にいた顕嵐担の方が持っていた「顕嵐」うちわがとっても、とっっっても羨ましく見えました。もう、ぐわっと奪いたいくらいに。ファンサが欲しいとかではなくて、ただ単純に自己主張できてる彼女が羨ましかったんです。あなたのファンはここにいるよって言えてる彼女が。
 
そんな状況下の中でどこか冷静に「(あ、わたしきっとこのまま顕嵐くんに降りるんだ)」と頭の中で公演中ずっと思っていました。でもコンサートもアンコールになり、「スキすぎて」の風磨くんの台詞パートで通常なら「and stay with me」なところ、この時は「…また会いに来てよ」でした。衝撃でした。その優しい声を聴いたとき、「(あ、やっぱりこの人から私は降りられない…)」と人の心を読むような彼の言葉感じ、その場で座り込んで隣にいた健人くん担にびっくりされるくらい泣いていたのです。
 
 
この担降りで1番悩んだのは風磨くんを嫌いになって降りたわけではないということです。どれだけ嫌いになれたら良かったかとほんと思いました。
 
名古屋公演が終わり、次の横アリ公演で誰のうちわを持つのかそれを考えた時がほんと辛かったです。もうそんな悩むならコンサート行きたくないと思うこともあり、実際に横アリのチケットは1公演分だけ残して他は手放しました。*3また実生活でもいろいろあって、少クラやSHARK2が見れない僻地に3週間ほどおかれる環境となり少し冷静になる良い期間で、すこしジャニーズから離れることができました。
 
そして4月下旬に東京へ戻ってきた頃ちょうどクリエが開幕したのです。チケットを確保できなかったにもかかわらず諦めきれなかったわたしは、毎日毎公演当日券を求め並んでいました。当然ものの見事に全て外れました…がしかし、女神が現れ、運よくチケットを譲っていただき1公演だけ入れたのです。
そして忘れもしない雨の有楽町、わたしは初めて作った「顕嵐」うちわを握りしめクリエに入りました。その時マイクを持ってその公演のメインで踊って、歌って、笑う姿に落ちました。そして彼のことを見逃したくないと強く思うようになったのです。
 
その後のSexyzoneSpringコンサートの横アリ公演4日1部、持って行ったのは「顕嵐」うちわと双眼鏡のみ。菊池くんに降りてからSexyzoneのコンサートで初めて菊池くんのうちわを持っていきませんでした。多分うちわを彼のしか持っていかなかったことでそれまで行きたくないと考えていたコンサートに心なしか足取りが軽くなり、実際にはその時点で口に出さないだけで事実上の担降りをしていたのだと思います。やっぱり笑顔で地上から数センチ浮いてるかのように踊る彼は魅力的だったし、改めて惚れていました。
 
担降りを目前にして、初めてジャニーズJr.を担当するということにとても不安を抱いていました。どこのコンサート現場に出る保証もなければ、確実にアイドルを続けてくれる保証もありません。そしてファンの立ち位置もいろいろ考えなおさなきゃいけないところもあるのかなって、お先真っ暗状態でした。
 
そんな中、まだ風磨くん担として仲良くしてくださってる方に申し訳なく感じtwitterで顕嵐くんに降りることと挨拶だけしてアカウントを新しく変えました。 その中でも名古屋公演後にお話しでき、今の心境を直接伝えられた人は新しいアカでもフォローすることができたんですが、他の方はなかなかフォローするのに勇気がいりました。特に菊池くん担の人には怖くて殆どフォローできませんでした。少し後ろめたい気持ちがあるんだと思います。実際今でも。
 
新しいアカウントにしてからもSHARK2に湧き、少クラに湧き、雑誌関係に湧きともう好きが止まりません。()
SHARK2で有翔くんが評判良くて私も毎週のように発狂し、ED迎えるたびに有翔くんのMADつくろうと意気込んでいます。やっぱりキャラ立ちがしてる分、視聴者にわかりやすく伝わり、尚且つあの美貌の眼福さは、全女の子が憧れる「ちょっとヤンチャな、でも影のある男の子」をうまく演じきれていたと思います。そしてあそこまで歌と演技ができるとは思っていなかったのでびっくりと共に、この子は底抜けに恐ろしいと感じました。怒り方がワンパターンだといわれても完璧に有翔くん演じれてたなぁなんて、ぜひとも助演男優賞贈りたい。あとベストジーニスト賞も。
 
担当を降りたとはいえ、風磨くんのGTOにも湧いている節操なしですが、あれめちゃくちゃかっこいいですよね、爆モテDK健在すぎるだろ。
 
 
顕嵐くんを担当してまだまだ不安なこともあると思うけど、これから夏が始まって近キョリ恋愛が始まってまだまだ知らないいろんな景色を見してくれるんだろうなってわくわくが止まりません。
ぼかぁ、幸せだなあ( ◜◡‾)(‾◡◝ )
 

*1:あらんちあって最高に可愛い響き

*2:菊池風磨くんのこと

*3:結局当日増やすことになるという